和田一丁目町会 役員ブログ 機関紙 ”ここに人あり” の原稿を活用しています |
小田原から和田に移り住んで!” 和田一丁目町会 役員 松永 陽子 こんにちは! 始めまして、松永陽子と申します。 二年前、結婚を機に神奈川県の小田原から移り住み、こちらの和田一丁目にお世話になっております。 小田原は気候的にも温暖で生活しやすく、のんびりとした雰囲気があります。 箱根へも気軽に行け日帰り温泉でリフレッシュできます。 一年を通して沢山の行事があり驚きましたがお陰様で皆さんにも温かく迎えていただき、今に至っております。 何よりも会長をはじめ役員の方々の熱意ある姿勢に学ばせていただいています。 十月には和田中学校で震災救援所訓練を行いました。いつ起こるかもしれない災害に対して生徒さんが真剣に訓練をして地域の方とグーループ討議で話し合いができました。 今年に入り二月の行事として餅つき新年会、女子美術大付属高中学校の震災訓練、和田小土曜授業<日本伝統遊び>がありました。土曜授業では、あやとり担当だったのですが子どもたちが、とても喜んでくれ、むしろ私の方が教えてもらうこともあり子供たちと楽しく触れ合うことが出来ました。 |
和田に移り住んで65年!” NPO法人 すまいる・わだ スタッフ 小杉 茂 平成29年6月より、「NPO法人すまいる・わだ」にスタッフとして参加させていただいています小杉と申します。地元の旧友より「スタッフになってみないか」と誘われ、不安は有りましたが友人も勤務している事もありお世話になることに致しました。子供のころは現在の新高円寺あたりに住んでおりまして都電の車庫(現在の都バスの車庫)の脇あたりだったと記憶しております。戦後まもなくで廃車になった都電を改造して住んでいる方が居る時代でした。その後現在住んでいる場所に引っ越してきて和田小学校そして和田中学校に通学しておりました。自宅の場所は以前畑だったそうで父が家を建てたころは、蛇が縁の下に入って行くのを目撃してびっくりしたり、モグラが庭先を掘り起こしたりしていました。自宅の隣が防火用水の池になっておりガマガエルが生息していました。ところがその防火用水池が建物建設の為取り壊されてしまい、ガマガエルは生存の危機に遭遇してしまう事になりました。そこで動物好きだった父と私は何とか助けようと、市販の小さな池を購入しカエルが産卵出来る環境を作りました。その後20年ほどその池に産卵しオタマジャクシからカエルとなり生き永らえて来ましたが、今度は自宅の建て替えで泣く泣く池を取り壊す事になってしまい我が家のガマガエルは残念ながら絶滅してしまいました。今自然に生息する生き物はヤモリだけになってしまい何とか生存し続けて欲しいと思っています。和田の街もマンションが増え若い家族がどんどん入居してきています。まだスタッフとなって日が浅いですが、始めた頃よりも駐輪する自転車の台数も増えている様です。これからは「すまいる・わだ」の自転車駐車場の役割もますます重要になってくると思います。理事長、理事の方そして先輩スタッフの方々の御指導を受けながら楽しく勤務していきたいと思っておりますので宜しくお願い致します。 |
住みやすい町 "和田!” 和田一丁目町会 役員(交通安全担当)人見 利江 はじめまして、私は、和田一丁目に住んでいる人見利江と申します。町会役員は、3年目に入り、今は交通安全・防犯担当をさせて頂いています。 私の生まれ育った町は、新宿区住吉町という所です。都営新宿線の曙橋が最寄りの駅で、近くには、河田町の東京女子医大があり、防衛省もあります。 昔は、フジテレビ局もあって、いつも人が溢れていて、賑やかな町だったと思います。 私の通っていた小学校は、フジテレビ局の正面を通る通学路だったので、いつも芸能人が、居ないか楽しみにしてしていました。 フジテレビ局の城下町と言われたフジテレビ商店街(今は、あけぼの橋商店街)があり、スタジオに近い局スタッフ、タレント、マスコミが交流する拠点だったようで、お店は、いつも混んでいました。 楽しみにしていたのは、8月8日がフジテレビのお祭りで、局見学、出店やイベントがあり、一日中楽しめました。人が溢れて賑やかな商店街も、平成九年フジテレビの移転により、賑わいも減少したようですが、従来からの女子医大の関係者の方や、大江戸線開通、フジテレビ跡地に、高層マンション、放射六号線の整備などで、活気を取り戻したようです。 私は、和田に住んでいた主人と結婚し、和田に移り住んで20年になります。生まれ育った町を離れましたが、懐かしくなると、新宿からでも歩いて行けるので、昔の思い出を辿りながら、自分のルーツを振り返っています。 町会役員に入ったのは 仕事をしているので、全て参加はできませんが、町会役員の皆さん色々と教えてもらいながら、楽しんで参加してます。 これからも、町会の行事を通して人々とのふれあいを大切にし、次の世代を担う子どもたちが、安心して住めるように、地域活動のお手伝いをして行きたいと思います。 皆さま、町会の活動にぜひご参加ください。多くの出会いがありますよ! |
地域活動のお手伝い 和田一丁目の町会は、特に他に比べたらイベントが多く、なかなな忙しいです。震災訓練、盆踊り、餅つき大会、ノベンバーフェスタ(地区町会連合会主催)、各お祭りでの模擬店出店、和田小学校土曜授業、通学路見守り、清掃授業など。また、イベントがあると事前の話し合い、前準備、当日活動、終わった後は、反省会と大変です。以前は、結婚して和田に引っ越した時、春と秋に交通安全のテントに座っている人を横目に見ていましたが、まさか二十五年後に自分が座っているとは思いませんでした。解らないものですね。 今は、地域活動に係わることが出来て良かったと思っています。毎年盆踊りに来てくれる子供たちを「大きくなったな~」と成長を見られるのも、いいですね。各イベントを通じて沢山の人と知り合うことができて、貴重な時間を与えていただき、感謝しています。一年の内後半は、特にイベントが立て込んでいて、空いてる時間はほとんど埋まってしまい、身体が「キツイ」ですが、あっと言う間に一年が過ぎていく感じです。でも充実しています!地域の皆さま、和田一丁目の各イベントに是非ともご参加いただくことをお待ちしております。私の顔を見かけたら気軽にお声をおかけください。これからも、少しずつ、お手伝いが続けられたらと思っています。ありがとうございました。 |
「親の家の片づけ」講座を開いています 和田一丁目町会 役員 堀田 泰子 停電で町全体が真っ暗になり朝を迎えるまで本当に長く怖い夜でした。駅周辺の被害状況は、日を増すごとに膨らみ、我が家もそうですが、日常の生活を取り戻すまで時間と労力が必要でした。今でこそ、大雨が降った時はサイレンが鳴っても安心して眠れますが、洪水を防ぐ貯水施設ができるまで浸水は数回続きました。 |
”町会交通部”のお手伝い 和田一丁目町会 役員 大橋 俊雄 皆様よろしくお願いいたします。私は、和田一丁目に在住の大橋俊雄と申します。地元の和田小、和田中出身で、現在勤務しております職場も和田一丁目町内にあります。 |
”バスハイク”あれこれ! 和田一丁目町会 副会長 伊藤 美代子 ♪ 頭を雲の上にだし 四方の山を見下ろして~富士は日本一の山 ♪ 薄化粧した富士山はもちろん、相模湾、伊豆七島、南アルプスが眺望できた素晴らしさ!本当にステキでした。今回の富士山、三保の松原と併せて、もう一度行ってみたい場所です。 |
”スキー” と ”私” 和田一丁目町会 役員 瀧澤 邦夫 スキーとの出会いは、高校時代体育の一環として「スキーコース」を履修すれば、「体育の単位が有利になる」の一言で履修したことに始まります。 当時はクラスで3名位の参加、全クラスで約20名と、少人数でした。 |
”おどり”は、私の心のよりどころ 和田一丁目町会 役員 飯作紀世江 「継続は力なり」とよく言われますが、子供の頃から始めた「日本舞踊」を今では、60年になろうとしています。 私の父の兄弟が常磐津・長唄の師範で、父親も新内のプロでした。そのような家庭環境であったために、子供の頃に日本舞踊を始めるきっかけとなったのです。もちろん、私自身も元来芸事が好きであったことも、それに拍車をかけました。 |
和田の街 「ありがとう!」 和田一丁目町会 役員 笠原 紀一 「ありがとうございました!」家路につく自転車の後ろ姿に声をかける今の私がここにいる。 |